存在の時間

存在のお時間ですよ!

存在肯定についての愛の諸形態

存在と人生は違う。

この寒いのに無糖紅茶に氷が浮かんでいる。

対象を愛し、その存在を肯定するが、本人にとって生まれてくる(きた)ことが良かったかどうかを勝手に判断してしまう、つまり人生の価値を勝手に測ってしまう、という関係の在り方がある。

「愛しているよ。生んでごめんなさい」

そんなことを言って、何も加えなければ甘美なミルクにわざわざ後悔という苦味を混ぜるのは意味のない嫌がらせだ。少なくともぼくはそんな愛は受け取りたくない。

でも、生む前に考えて欲しかったと望むのは愛の希求だ。少なくとも自分の生を肯定する責任を背負って欲しがっている。ぼくはそれを望んだことがないと言い切れるだろうか。

存在否定はするが、本人がその人生を肯定するかどうかを決める権利は侵害しない、そんな関係の在り方もあるかもしれない。

「私がこんなにあなたを愛さなくても、あなたはその人生を愛しますか」

ああそうか。もしかしたらぼくを愛さなかったあの人は、そんな問いで罪滅ぼしをするかも知れない。

フレンチトーストで口が甘いのを無糖紅茶で直す。