存在の時間

存在のお時間ですよ!

存在肯定についての愛の諸形態

存在と人生は違う。 この寒いのに無糖紅茶に氷が浮かんでいる。 対象を愛し、その存在を肯定するが、本人にとって生まれてくる(きた)ことが良かったかどうかを勝手に判断してしまう、つまり人生の価値を勝手に測ってしまう、という関係の在り方がある。 「愛…

大人になれる日

大人になることは嘘つきで、筋が通ってない、不誠実で残酷でわからず屋な人間になることだと思っていた。 そういう人間を憎んで、軽蔑していた。 大人が間違っていて自分が正しいと思っていた。 自分はいつかそういう人間に「なってしまう」のではないかと恐…

夢の終わり、愛の続き

普通の自分を生きることが出来なかった。 普通の自分を切り離して、馬鹿にして、 普通ではない自分しか認めることが出来なかった。 普通ではない経験をした人間は、普通ではない生き方をしなければならないと思っていた。 とりわけ人から見上げられるような…

あなたが与えた私を生きるーーー存在を授与し合うということ

私のことが好きだ?私のことなどよく知りもしないくせに、と君は言う。 好意は、相手を知ることで初めて生まれる場合もあるが、相手を知るための関係の入り口である場合もある。そして大概、私たちはこの好意を正当化しようとする。それが相手に対する勝手な…

眼差しの責任について

一人で百円寿司に行った。無性にあの茹でたエビが食べたくなってのことだった。 寿司が流れるレーンの向こう側の席で、絵に描いたような幸せそうな父親と母親と10歳ぐらいの女児が寿司を食べている。 流れてきたたまごを食べていると、女児がじっとこちらを…

底なしの不安/寂しさについて

底なしの不安や寂しさについて、ほんの思いついたことを書きたいと思う。 底なしの不安とは、「こうなったら安心だ」という具体的な安心の基準が存在しない不安のことである。 多くの不安は具体的な安心の基準を持っているように見える。しかし、その基準は…

生を祝福するということ

こんな日だし久しぶりにブログでもと思い、編集画面を開いた次第である。 言葉は怖い。私はこれを書くのに慎重になるだろうけれども、もし読み手に痛みを与えたのなら申し訳なく思う。そのような恐れも持っていることも最初に伝えておきたい。 正直なところ…